2018年09月一覧

「怒り」は必要なの?

毎日、気楽にすごすために
心のめぐりをよくしよう!と

 

心に溜まった不機嫌を手放す
「心の処方箋」をお伝えしています。

 

心のめぐりについてAさんから
『怒りはなぜ起きるのでしょう?』と
ご質問をいただきました。

 

イライラやムカッとすることがなければ
心に不機嫌が溜まることもありません。

 

人間にとって「怒り」は
必要な感情なのでしょうか?

 

「怒り」という定義は
辞書で調べてみても
漠然としていてつかみどころがないのですが

 

個人的には「怒り」という感情は
動物として生きるために存在すると考えます。

 

生物として命を長らえさせることが
一番の目的だとすると

命を脅かすものに出会った時
立ち向かう、または護るために
沸き起こるエネルギーを
怒りと名付けたのかもしれません。

 

また、施術家としてカラダと向き合う時や
算命学で宿命について理解を深める時に
陰陽五行説が欠かせませんが

 

その陰陽の視点から考えると
喜び・楽しさを理解するために
必要なのではないかと理解しています。

 

ただ、現在の「怒り」は
根底に流れているものが違うと言うか

 

不機嫌の上に存在しているため、
本来の「怒り」とは質が違うように感じます。

 

「叱る」と「怒る」と「怒鳴る」は違うものですが
心に溜まった不機嫌をただぶつけるだけの場合が
多くなっているのではないでしょうか。

 

だから、ぶつけられた側も
不機嫌しか感じられず、自分の心に不機嫌を溜めてしまう
不の連鎖が起きているように思います。

 

「怒り」が不要かというと
生きるためには必要な感情でもあるので
なければいいわけではないと思います。

 

怒りが多すぎてカラダも心も疲れてしまうのは
よろしくありません。

 

心が動き続ける以上、0にすることは難しいですが
今よりも減らすことは可能ですし、
極力発生させないこともできます。

 

また、言葉にすると矛盾しているのですが
機嫌よく「怒り」をぶつけることもできるし

 

「怒り」をぶつけられた側が
心に不満を溜めないこともできます。

 

「怒り」に振り回されるのではなく
自分がコントロールできるようになるのがよいですね。


スポンサーリンク
レクタングル(大)
レクタングル(大)