「他人と違う」
私には“恥ずかしくて、いけないこと”でした。
セミナーでも、お話しさせていただくのですが
小学生の時、物語を読んで情景を絵にする授業がありました。
森の中を親子の馬が駆けていく…というような内容でした。
「薄暗い」だったか、「うっそうとした」だったか
記憶があいまいですが、そんな森だったと思います。
でも、私が画用紙に表現した森は「ピンク」
なぜかはわかりませんが、私の頭の中に広がった世界は
ピンク色をしていたんです。
一面のピンクに茶色の馬が映えて、
私としては良くできた♪ と満足だったのですが
教室の壁に、全員の絵が貼りだされた時にビックリしました。
私だけピンクだったんです。
当たり前ですよね・・・森の話ですもの。
友人たちは緑、深緑で仕上げているのに私はピンク。
恥ずかしかった…
それと同時に「人と違っちゃダメだ、目立っちゃう」と思いました。
「個性的」といえば聞こえはいいのですが
小学生の私がそう思えるはずもありません。
母は「上手だね」と褒めてくれましたが
そう言われるのも情けなく、後ろめたく感じました。
それ以来、自分の美的感覚はおかしいんだと思い
「無難」を選ぶようになりました。
なるべく、人と違わず、目立たないように
これが私の選択の基準でした。
占いなんかで『美しいものが好き』『美的感覚に優れ』という
言葉に辿り着いたとしても「いやいや、それはないから」と
真っ向から否定するくらい自信を失っていました。
自分を主張しなくなったきっかけともいえる事件ですが
本当は、そこまで傷ついていないのかもしれません。
美術というと、この光景を思い出し
“嫌だったな~”と改めて不快さを感じるのですが
これがトラウマを作るシステムなんです。
自分で不快の上塗りをすると
機嫌が悪い時に思い出しやすい出来事になります。
思い出してはまた“嫌だな~”と感じる・・・
こうやって“嫌”を強化させていくのです。
忘れられない嫌な思い出は自分が作っているのです。
ピンクの絵を描いたことと、嫌な気持ちが一緒になっているので
恥ずかしい思いをした出来事になっているのですが
嫌な気持ちは手放すことができます。
めぐりすと式心の処方箋で気分の悪さを手放してきたら
その時の光景を思い出しても、前ほど後ろめたさを感じなくなりました。
これが「ただの想い出」になっていくということです。
それと同時に、別に人と違ってもいいやって思えるようになりました。
全力で否定してきたけれど、綺麗で美しいものはやっぱり好きだし
人と比べるわけじゃないから、好きなものは好きでいいんじゃないかと
ようやく自分に嘘をつかなくてよくなりました。
誰に対してなのかわからないまま肩ひじ張っていたけれど
やーめたと思ったら、肩の力が抜けて気楽になりました。
「私は私」
やっと無理せず言えるようになりました。
人と違っていいんですね♪